関西四輪駆動同好会OB会

  昭和50年ころ、ジープクラブといえば大阪にひとつ、京都にひとつの程度やったと思います。

三菱ジープとランクルが八対二くらいの割合だったでしょうか。

同じクラブの方々はもとより、それ以外でも行った先で同好の方々と色々コミュニケーション
がとれて、楽かったという思い出があります。

また、山で一緒にスコップで掘り方?をした仲間はなかなか忘れられませんなあ。
 
 
  関西四輪駆動同好会は、パジェロが発売され、当時四駆乗りにはバイブル的存在やった4×
4MAGの方針が商業ぺースに変わった辺り(大阪で変な女がレポーター(
現在、府立高校で保健室
のオバハン
)と称してタカリだした辺りかな?)から収束に向かい、現在は人間の繋がりのみ。

例外は、ミリタリー派。今なおハンビーはじめM151A2や54A、MBを所有し、MVCC?の行事に
も皆勤とかで、ようやります!

ジープに乗り始めは、たいがいの人は太いタイヤと派手なペイント、ボルトオンのパーツを付けたがります。
そしてどこでも行けるぞ!という錯覚に陥るものでしょうか?

しかし、次第に飽きはじめ、アホらしなって本来のシンプルな形に帰っていくのです。

左はブタジープと悪評高かった、後期の改悪型?J58。ドン臭い私です。ヘタクソのくせに、イキッてました。

昭和52年頃かな?



 
 

  初期の御堂筋パレードにも協力参加しておりました。
そのときの写真は
ここをクリック。

しかし、これに協力というのもあまり気が乗らんかったですね、本音を言うと。

でも、
「ジーピング」というグレーゾーンの遊びを楽しむグループにとって、大きな市府民の
お祭りに協力しているということが、大事なんですね。私たちは健全な団体や!とアピール!


 佐々里峠

毎年正月は、息のあったメンバーと京都北山から美山あたりで過ごしたもの。

いつもの佐々里の民宿、ボタン鍋が恒例で美味かった!
 

山の入り口で、一台がフルオープンにすれば、みんな渋々?付き合います。

あまり他人さんには見られたくない、アホな風景ですね。
八丁林道


紀州は紀ノ川川原での出来事。渡河中に深みへはまり、そのまま流されること百数十メートル。
向こう岸から撮った写真は
これです。

冬の川はさぞかし寒かったことでしょうTさん、Oさん。潜ってのワイヤー掛けはほんま大変! 

小整備の結果、翌日には無事エンジンがかかりました。
 


4回転半にもめげず、原型をとどめるNさんの車。
岡山県のスキー場、草の上のゴロンゴロンは、見事でした。

この娘は笑っています。泣いているのではありません。
 


ジープに乗りはじめは、なかなか「行ける/行けない」の判断ができません。

各地でクラブが出来始めた頃、交流会での出来事。

みんなの手前か?お勢いついたビギナーお医者大先生様は急登の逆バンクを読めぬままに発車! 

オッサンの職場とは違い、大地は皆に公平だす!? これ、その証明! 

帰ったら看護婦相手に自慢話?してまんねんやろな。まさに井の中の蛙。

(赤シャツはそのクラブの世話人



マイナーな当時の四駆界、少ない情報の共有と路外走行有事の際の助け合いなどを主目的に、関西ジーピン
グ組合というモンを立ち上げました。関西各地、多くの方々からいろんな形でご協力をいただき、本当にありがとうございました。

その機関紙?を年1〜2回程度(500部/回)で5号まで出せました。

いろんな人との接触・交流を通じて大変貴重な時間を過ごさせてもらいましたなあ! 楽しかったです!! 

 



遠い昔は、あの○×砂丘も、冬(2月)の雨の平日など閑散期には走れました。
もちろん片隅で細々と…。  ここは、ワイドタイヤ必携! そしてアクセルは常に全開!

なぜか? 以後規制がきつくなり一切入れなくなりました。これ当たり前!!!

三菱ジープの最高の名車J-52。

最新?OHVのKE47エンジンとジープ本来のナローボディ、それに巧みに操るドライバーとの

3拍子の組み合わせが決まれば、ゲタタイヤで実に巧妙に走破!
 


日曜日に滋賀県の陸上自衛隊饗庭野演習地を裏から、コソッと入ったことが数回あります。
戦車が走り回ると、こんな風になるのかというのが実感できます。

後続はたまったものではありません!饗庭野演習場での他の写真はここをクリック
 

当時のジープクラブに入っておられる方々は、いろんなタイプに分かれます。こういうクローズのコースで競争するのが好きな人もおられ、知り合いの採石場等を借りて何度か気楽なイベントも行なわれてました。

私はあまりこのようなイベントも好きにはなれませんでした。

ジープ本来の使い方を逸脱してるような・・・・・・・。

大阪発動機で新車開発(その3.4年前から、実状調査等には我がクラブも協力していた)から発売予定!という
時、池田市の本社工場から箕面山域で、テスト?させてもらいました。どう乗ってもいいでしょう?とジープの
つもりでダム工事現場周辺の路外を走りましたが、助手席下、吊り下げ式の燃料タンクを凹ますなど、問題点を
提起しました?

開発担当の方々と接触するや、車つくりというのは、パートが細分化されていて、総体的にとらえられる人の頼
りなさや、実際の路外走行についてあまり知らない、また経験がない人が多いのには、ビックリしました。「へえ
ーこんなとこ行けるんや」なんて向こうの人から聞くと、ええ加減なもんでんなあ!と思います。これも時代の
ひと言ですね。今は違うでしょうが。

積雪期の京都府美山町/京都市の佐々里峠は四駆乗りの社交の場でした。四輪駆動車・スノーモービル・クロ
カンスキーが入れ混じります。

みんな顔なじみで、ほんわか遊びます。

外観ノーマルが最後の帰結!

青空に向かってヒルクライム!!

大阪は鶴橋!河内屋ヘンコ58!
ナローボディは素晴らしいですね。

京都市花脊電波塔より新雪の大見尾根を行く京都七條の畳屋さんの特装52。

京都北山で大雪の夜、オープンで走っているODジープといえば、この人

この方の車作りと運転技術や感性など多くのことについて、我々後進は影響を受けさせてもらい
ました。


さて何時頃でしたかな?難波球場で行なわれる西城秀樹のコンサートに
協力するために集まったモノ好き?のメンバー達。

まあ、自分の車で球場を走る機会は二度とないにしても、見ず知らずの芸能人
(西城秀樹とか云う)の金儲けの手伝いは懲り懲り・・・と私は不参加。

この人ら、ようやる・・・・・・。


ジープを突き詰めると、ウイリスMB(又はフォードGPW)かM38に行き着きます。

見事に修復されたMB。

大東亜戦争で使用された車とは信じられないくらい美しく仕上げられました。

滋賀ジーピングクラブのU氏の自宅納屋にて
 



まだウインドシールドが付けられてませんが、J3R改のM38(朝鮮動乱で活躍した車)。

U氏の手による改造車。

氏は趣味で庭に作業場を作り、全てご自分の手でされます。なんでこんなガッツがあるのか?
というくらい、真面目に取り組まれております。それも生業とは全く異なる、趣味の世界で!

ミニコミ4×4に投稿頂いた「ローフードの仕方」、じっくりご覧あれ!
ローフ−ドの仕方へ

今から40年以上前の記録ですが、今も王道!
 


好天に恵まれた休日。技量のつろくした2・3台で、こういう所をのんびり遊ぶのが、最高でした。

粒が揃わない大勢で行くほど疲れるもんはありません。
 

四輪駆動ではないものの、病み付きになるこの手の車!

こんな面白いもん、日本にあったんかいな!?





 

これはミニコミ4×4 5号の裏表紙。

絵を描くことが好きな自閉症?の子(10代後半)に
151の写真を渡しただけでこんな素晴らしい絵を描いてくれました。
四駆車や軍用車に何の関心も無い子が描いたとは・・・・!抜群でんな!!! 

人と会うのが苦手とかで直接お礼を言えず仕舞いでしたが・・・・元気で活躍したはりまっか?
描いてもろうた絵、このようにまだ現役でっせ!!
 
万事
自信持って生き抜いて下さいや!
 
( そんな声、届くはずはありませんが・・・)




 

 意外とこの手の2輪は役に立つ   饗庭野演習場にて


関西四駆会O氏所有のA2初期型。




初代関西四輪駆動同好会の立役者!H初代事務局長は丹後の山で現役でっせ!
h25.2.28
先祖からの農業の傍ら、狩猟を嗜む万年青年!!
 
令和元年 副会長T氏 関西四駆会魂を担う最後の御仁!!! 
  動画もおます

  
 この車、我が生きがいと得意満面のオーナーのT氏! 画像をクリックで車の外観が出ます。
このオーナーももうじきお歳とかで、次に乗ってくれる人を探しているみたい。誰ぞ居まへんか、力ある人!



ほんま、すっとする話 もどうぞ! 「くろがね4起」をクリック



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